自愛って、いつごろからか流行ってますね

自分を愛すればすべて上手くいく。

ありのままの自分でいい。

そんなフレーズがスピリチュアルとかそっちよりの心理読み物、セミナーなどで毎度のごとく使われているような感があります。

それは真理であり、だからこそいろんな人が説明として使うのでしょう。

けれども、やはりそこには落とし穴があると思います。

 名著「ずっとやりたかったことをやりなさい」で、ジュリアキャメロンは述べています。

「自分が、下手なアーティストであることを赦しなさい」と。

初めて書いた短編小説をヘミングウェイと比べ、初めて描いた絵をゴッホと比べ、初めて撮った自主映画をスターウォーズと比べ、

「自分には全く才能も望みもない、やるだけ無駄だ、もうやらない」と決めつけてしまいがちだ。自力で立とうとしたことを評価し、よちよち歩きしたことを認めてほめよう、一歩一歩進めばいい、その過程がすでに夢の実現なのだから。

そうやってアーティストの道へ行く人たちを励ましています。

 

けれども、多少なりとも取り組んだものなら大概のひとはわかるでしょう。

「自分の下手さ加減を見つめるというのは、できればなんとしてでも避けたいような苦痛と恥ずかしさである」ということを。

その恥ずかしさ、苦痛、怒り、悲しみなどを感じることを赦すのが、自愛ということでしょう。

それをどうも昨今の自愛を唱えている人の中には、

「へたくそのままで素晴らしいのだから、世間はそのままの私を認めて肯定してお金と称賛を送るべきだ」

というような生き方を突き進んでいらっしゃる方々が結構おられるようです。

それは前向きなようでいて、ただ「下手な自分を認めることの苦痛」からの逃避でしかありません。

「自愛」「自分軸」という概念をごまかしに使っているだけで、向き合う、受け入れることとはほぼ正反対に突進しているといえるでしょう。

そういった人たちを肯定する気はさらさらありませんが、逃げたくなる気持ちもわかります。

文章にしろ絵にしろスポーツにしろ人前でしゃべることにしろ、取り組んでみると自分の出来に嫌になることが多々ありますから。やりたいとかやらなければとか思ってもなかなか取り組めないのは、その恥ずかしさや自分への怒り、悲しみなどの苦痛から逃れようという抵抗なんでしょうね、きっと。