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コインロッカーベイビーと姥捨て山

自分で作り出しておきながら、

「こんなもの欲しくない、いらない」といって毛嫌いし、目につかないところに放棄し、それを当然のことだと思うような人をどう思うでしょうか。

自分があれこれ世話になったのに、色々と不便を感じるようになったら遠くへと捨てて知らんぷり、そんな行動が果たして立派でしょうか。

「好ましくない」と判断した感情に対して、私たちはそれを平気でやっている。

 

その教えを聞いて、思い当たるところがありすぎました。

そしてなぜ、あれこれと心の平安を求めて学んだり治療を受けても、根本的に改善しないのかもわかった気がしました。

「癒し」の名のもとに、感情をどこかへやってしまつすることで平安を得ようとしても、無駄なことだったのです。自分に都合のいいものだけが欲しい、と、作り替えようとすることも同様です。

捨てられたり、強引に作り替えられたりした子供たちは必ず親のところへ復讐にくるでしょう。

それに対処しようとしても、また別の恐怖や嫌悪といった感情を作り出して放棄する、という悪循環へとはまっていくだけです。

 

怒り悲しみ妬み恐怖劣等感、それらが「私」をめがけて戻ってくることは当然自然のことなのでしょう。

それらが「私」に恨みをぶつけて引き裂くままにさせること。

そこにしか、本当の自由と平安はないのかもしれません。どんなヒーラーも医者も、かわりにやってくれるということはできないのでしょう。症状を一時的に治めることはできても、自分で向き合うしかないのでしょう。

自分で作ったものなのですから。